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東京地方裁判所 平成4年(ワ)21763号 判決

原告 株式会社あさひ銀行

右代表者代表取締役 吉野重彦

右訴訟代理人弁護士 木村一郎

被告 廣井公明

右訴訟代理人弁護士 辻嶋彰

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

<一部仮名>

第一請求

被告は、原告に対し、金三二二三万八三九〇円及びこれに対する平成三年一〇月一日から支払済みまで年一四パーセントの割合による金銭の支払をせよ。

第二事案の概要

本件は、原告と被告との間において締結した日本円とスペイン国通貨(ペセタ)とのスワップ取引(クーポン・スワップ)によって被告が負った債務を原告が請求したのに対し、被告が、原告の担当者は、原告の利益を目的とし、被告に損失が出ることを承知しながらこれを被告に告げず、かえって利益の上がる取引であると虚偽の事実を述べて被告を騙して契約を締結させたとして、詐欺による取消等を主張する事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1 原告(当時の商号株式会社埼玉銀行)と被告とは、平成二年八月二九日スペイン通貨ESPと日本円とのスワップ取引に係る契約を締結した(被告は、その契約内容の詳細は、説明を受けておらず、知らないと主張している。)。

2 被告は、右取引による第二回目の支払日である平成三年八月二九日の原告に対する金利決済金の支払をしなかった。

3 被告は、平成五年八月三〇日の本訴第五回口頭弁論期日において、詐欺を理由として、右取引契約を取り消す旨の意思表示をした。

二  争点

1 原告と被告とは、どのような内容の契約を締結したのか。

2 原告は、被告を騙して、その契約を締結させたか。

3 被告の支払うべき精算金の額

第二争点に対する判断

一  原告と被告とは、どのような内容の契約を締結したのか

≪証拠省略≫及び証人甲田太郎の証言によれば、次の事実を認めることができる。

1 株式会社埼玉銀行(後に合併により原告となる。)三鷹支店(以下「三鷹支店」という。)は、かねてから被告と懇意な取引関係にあり、同支店は、被告が実質的に経営する会社を含めた被告のグループ総体に対し、常に十億以上の融資残高があった。

一方三鷹支店においても、被告にことあるごとに短期間多額の金銭を預金してもらう預金協力を依頼してきていた。

2 三鷹支店は、平成二年七月にも頭取交代を記念した社内の運動のため、被告に同様の預金協力を依頼することとし、支店長である甲田太郎及び担当の乙山支店長代理が同月二〇日被告の事務所を訪問した。

甲田らは、被告に対し、個人預金二億円、二年間の預金協力を依頼した。資金は、予め三鷹支店において東京海上火災保険株式会社から保証料を含め年利八・一パーセント、利息は二年間六ヵ月後の支払で借り入れるという内諾を取り付けていた。被告は、この申し出に応じると、借入金利と預金金利の差額として、二年間で三〇〇〇万円を超える損失を被る見通しであった。しかし、被告は、これを承諾した。

3 甲田支店長らは、この預金協力によって被告が被る損失がなるべく小さくなるような借入資金の運用方法について被告に助言した。甲田は、その方法の一つとして、外国為替の関係の金融商品を被告に紹介し、被告は、これに興味を示した。

4 甲田らは、本部からスワップ取引についての資料を取り寄せ、平成二年八月二一日被告の事務所にこれを持参して、被告にこれを渡し、半年毎に円の金利とスペインペセタの金利を交換するクーポンスワップという取引について、概要次のような説明をした。すなわち、期間は、バルセロナオリンピックまでの二年間とすること、為替の変動によって、損得が生じる、リスクもある取引であること、見通しとしては、オリンピックの開催という材料があるので、スペインでの景気上昇によるペセタの値上がりが見込めること、中途解約は相当のコストがかかるので、損失を被ることを覚悟しないとすることができないこと及び為替リスクのある商品であるため、取引額の二・五パーセントの額の担保を必要とすること、以上のような点を説明した。

5 被告は、同年八月二七日になって、スワップ取引を行うと三鷹支店に言ってきた。そこで、原告と被告とは、同月二九日次のような内容の金銭の相互支払に関する契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

(一) 被告は、日本円(想定元本金額一〇億円)により、原告はスペイン国通貨ESP(想定元本金額ESP六六一、五〇六、九一三)により相互支払を行う。

(二) 取引開始日を平成二年八月二九日とし、最終期限を平成四年八月三一日とする。

(三) 支払日は、平成三年二月二八日を第一回とし、以降最終期限までの毎年二月の各二八日と毎年八月の各二九日とする。

(四) 支払金額の算定方式は、被告の支払金額を、〔円想定元本金額×二五・五%×実日数÷三六五〕とし、原告の支払金額を、〔ESP想定元本金額×二六・五%×実日数÷三六五〕とする。

(五) 被告が債務の一部でも履行を遅滞したときは、原告は通知によって被告の期限の利益を失わせると共に、通知日にこの契約を解除することができる。

(六) この契約が解除された場合、被告は、解除によって原告に生じる損害を直ちに賠償しなければならない。

(七) 延滞による損害金は、年一四パーセント又は調達コストプラス二パーセントのいずれか高いものの割合による。

二  原告は、被告を騙してその契約を締結させたか

被告は、甲田支店長らの勧めるスワップ取引の内容が全く理解できなかったが、同支店長らが重ねて必ずもうかるというので、信用して取引を承諾したと主張する。しかし、被告は、年商四億円から五億円にのぼる広告宣伝会社の代表取締役を勤める傍ら、被告から融資を受ける等してマンション等の不動産を購入し、これを保有して家賃収入を得たり、他に転売して譲渡所得を得たりしている者であり、いわゆる財テクを図っていたと認められる者であるから、投資に関心があり、その効果には敏感であったと考えられるのであって、このような立場にある被告が、単に支店長や担当者が熱心に勧めるからといって、内容を理解しないまま取引を承諾するとは考えられず、その趣旨の供述は信用できない。現に被告本人は、オリンピックがあるのでペセタが今後円に対して強くなることが予測され、そうなれば為替レートに差が出てそれが利益となること、逆になることもあり得ることを承知していたと述べており、本件契約の核心は理解していたとみうるのである。また、被告本人は、甲田支店長らが、最初からすぐスワップ取引を勧誘に来たと供述するが、銀行の担当者が、被告に対し、このようにリスクのある取引を行わせることだけが目的で十億円にのぼる借入を勧誘するということは通常考え難いことであって、この点は、甲田証人が証言するように、最初は頭取交代に伴う運動としての預金獲得への協力方を要請に来たと見る方が自然である。

いずれにせよ、甲田支店長らとしては、被告に大口の預金をして貰うことは強く希望していたものの、その預金によって被告にスワップ取引をすることを勧めたのは、預金によって被告が受ける損失をカバーして貰おうと考えたからであると認められるのであって、そのような取引をすることが三鷹支店にとってメリットがあったために同支店長らがそのような勧誘をしたというような事情は特に認められないから、何度も来てその取引をするよう勧めたとか、被告に損はさせないようにするとまでいって勧誘をしたとの旨の被告の供述には、甲田証人の証言と対比して直ちに信を措き難いのである。

以上のように、本件契約の締結について、甲田支店長らが被告を騙し、被告がその内容を誤解したとの主張は、採用できない。

三  被告の支払うべき精算金の額

1 ≪証拠省略≫及び証人甲田太郎の証言によれば、次の事実が認められる。

(一) 被告は、第二回の支払日である平成三年八月二九日に本件契約に定められた次の計算によって算出される一七四五万一七二五円の金利決済金の支払をしなかった。すなわち、原告が被告に対して同日支払うべきスペイン国通貨ESP八七四〇万九五三〇スペインペセタを同月二三日付け外国為替相場(一スペインペセタ当たり一・二五五〇円)によって円換算した一億〇九六九万八九六〇円をAとし、被告が原告に対して同月二九日支払うべき日本円一億二七一五万〇六八五円をBとし、BからAを差し引くと一七四五万一七二五円となる。

(二) 原告は、被告に対し、平成三年九月二六日付け内容証明郵便によって本件契約を同月三〇日付けで解除して期限の利益を喪失させ、併せて、同月三〇日付け外国為替相場による金利決済金一七七一万三九五三円と解除に伴い発生する為替リスク(平成三年八月三〇日から平成四年八月三一日まで)を回避するため要した費用三八一三万八八一一円との合計五五八五万二七六四円の支払を催告する旨の意思表示をし、この郵便は、同月二七日被告に到達した。

(三) 原告は、平成三年九月三〇日被告との取引について担保として差し入れられていた原告への預金債権元利金二三六一万四三七四円について担保権を実行し、その結果右(二)の原告が被告に対して有すると主張する債権の額は、三二三八万八三九〇円となった。

2 被告は、第二回の支払日における金利決済金の支払をしなかったが、本件契約上その支払義務があったから、その支払をしたとすれば被告が被った損益(本件においては、損失)に相当する金額については、原告に対しこれを支払わなければならない。

3 しかしながら、本件契約が解除されたときにおいて、その解除に伴い原告が被った損害として、どれだけの金額を被告が原告に支払わなければならないかは、右2と別個の問題である。

本件契約によれば、契約が解除された場合、被告は、解除によって原告に生じる損害を直ちに賠償しなければならないものとされている。しかし、解除によって原告がどのような損害を被るのかについては、本件契約には何ら具体的に規定されていないから、契約解釈によって、これを決する他はないが、まず、契約解釈として、ここにいう損害とは、解除と相当因果関係のあるものをいうと解すべきである。

4 原告は、当初、この損害を、この契約に伴って発生する為替リスクを回避するために行っていた取引を解除するに要した費用であると主張していた。

≪証拠省略≫並びに証人丙川正夫の証言によれば、原告は、本件契約に際し、そこから発生する為替リスクを回避するためアメリカ合衆国ニューヨーク州のAIGフィナンシャル・プロダクツ・コーポレーション(以下「AIG」という。)と、将来の三つの時点における固定金利二六・五パーセントによるESPの金利を、同時点における固定金利二五パーセントによる日本円の金利で交換する内容の金利及び通貨交換取引契約を締結し、本件契約が解除されたことに伴い、原告がこの金利及び通貨交換取引契約を解除したことにより、解約支払金額として、三八一三万八八一一円をAIGに支払う義務が発生して、これを支払ったことが認められる。この解約支払金額は、まさに原告が、本件契約に伴って発生する為替リスクを回避するために行っていた取引を解除するに要した費用であるというべきである。しかしながら、丙川証人が証言するように、原告とAIGとのこの契約は、原告側が為替リスクを回避するという必要に基づいて、本件契約と関係なく原告が締結したものであるから、この解約支払金額を、原告が本件契約解除によって被った損害であるとして、原告に賠償を求めることはできない筋合いである。

5 原告は、次に、この損害を次のようなものであるとして説明するようになり、証人丙川もその説明に沿って証言をした。すなわち、被告は、本件契約の解除によって、既に同契約上確定している残存期間にわたる円の支払義務を完了させる義務を負うこととなる。その完了する方法は、将来二月と八月に支払うという形で決まっている価値を契約解除の時点で一括清算するため、残存期間のESPを日本円の解除時の先物為替レートによって円換算し、その円価額を解除時点に引き直して原告の支払うべき額を確定し、次に残存期間の円価額を解除時点に引き直して被告の支払うべき額を確定して、その差額を清算するということとなるとする。

しかし、本件のような固定金利のクーポン・スワップ契約を解除する場合において、取引契約を締結した者が必ず残存期間にわたる円の支払義務を完了させなければならないこととなるとは必ずしもいえない。為替先物の予約を取り消す場合には、その取消時点における為替先物相場による価格で反対取引をしなければならないとするのは、或いは原告のような金融機関相互においては、慣習ともいえる事柄であるかも知れないが、被告は、一般消費者である。このような者に対しては、特別に契約上合意しなければそのような金融機関相互間の慣習の類を押しつけることはできないことは当然である。

民法上一般に、将来における履行義務を負った双務契約が有効に解除されれば、契約当事者は、少なくとも将来における履行の義務そのものは免れ、解除によって一方当事者が損害(相当因果関係のある損害)を被れば、その解除について帰責事由のある者がその賠償責任を負うこととなるに過ぎない。この場合、その損害は、将来履行する義務を負う事項を解除時点において履行したとした場合に生ずると想定される損害であるとは限らないことはいうまでもない。

原告が主張するような精算は、例え原告が本件のAIGとの契約をしなかったとしても、原告が、既に本件契約成立の時点で先物のESPを将来の一定の時点において一定の価額で買い取る予約をするという選択をするという前提をとるからこそ必要となるものであって、本件契約上、ESPと円との金利の交換は、将来行われることなのであるから、原告が、その将来の時点において、その都度ESPをその時の為替レートをもって調達する選択をするという前提をとれば、このような予約をする必要がなく、したがって、残存期間にわたる円の支払義務を完了させるような精算も必要がないことになる筈である。もっとも、原告が、将来の時点においてESPをその都度調達するという選択をしたとすれば、まさに本件契約上被告と反対の立場に立つこととなって、被告の損失は即ち原告の利益ということとなり、原告もリスクを負うこととなる。しかし、本件契約上、原告がそのようなリスクを負う立場に立たないという規定は全くないから、原告が(AIGのように)そのようなリスクを負うこととするか、負わないこととするかは、被告の関知しないところである。

要するに、原告がこのような説明をしても、その精算に要する金額は、右4と同様に原告が本件契約に伴う為替リスクを回避するためにした操作によって生じたものであるという実質に何ら変わるところはないことになる。

確かに、被告が本件契約を締結していながら、その契約上の義務を履行せず、それが中途で解除されれば、それなりの損害を原告に与えることであろうが、その損害としては、逸失利益を補填するものとしての手付金倍返しのような違約罰も充分考えられるところであり、原告が為替リスクを回避するための措置を講じたことによって原告に生じた損害を被告が全部負わなければならないこととするには、当初の契約においてそれだけの定めを置いておかなければならず、単に損害を賠償すると規定するだけでは足りないといわざるを得ない。

6 以上を要するに、本件契約の解釈によっては、本件契約の解除により、原告が、右1(一)に記載した以外にどれだけの損害を被ったといえるかが確定しないといわざるを得ないこととなるから、原告は、一七七一万三九五三円のほかは被告に対し支払を求めることができないこととなる。この金額は、前記のとおり、既に原告において相殺済みであるから、結局、原告の本訴請求は理由がないことに帰する。

第三結論

以上のとおり、原告の請求は、これを棄却すべきこととなる。

(裁判官 中込秀樹)

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